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制作と発表の覚書

展覧会リーフレット:連続作家紹介第1回『浅見貴子展−光を見ている−』、2006年、アート・インタラクティヴ東京

浅見貴子

1964年

埼玉県秩父市に生まれる。3人兄妹のまん中。

1988年

多摩美術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。
「表現の現場展‘88」に参加。『序』を出品。
ドーサ引きの失敗から、筆を転がして描くことを思いつき、下地の予定だった墨を主に使って仕上げた。
人物を描く予定だったが、長さ540㎝もの画面と格闘するうちに初めて抽象的な作品になった。人物を描いていた頃には「人物と背景が別々になってしまう」ことや、先が見えてしまうことが不満だったが、そういった問題から解き放たれた思いがして、爽快だった。しかし、「構図を変えるだけ」のような作品は作りたくないと思い、苦悩した。その後は、突き上げるように何かが現れる感じを描いたり、空気や水の漂うような感じを墨と岩絵の具や箔を使って描いた。

1992年

藍画廊(東京)で初個展。以降、主に貸しギャラリーで年1回の個展を開いた。

1993〜95年

ちぎった銀箔、胡粉、薄墨を重ねて“奥行き”を作ろうとした。見る角度や照明で色合いや作品の印象が変化する画面を実現できた。が、箔はどうしても箔だと認識できてしまい、画面から浮き上がって分離してしまう感じが不満だった。箔を使うと装飾的に見えてしまうことも後ろめたく思っていたので、ちぎり箔は少なくなった。

1995年

「上野の森美術館大賞展」に『碧』が入選。
和紙に墨だけで描いてみようと思った作品。筆使いや “描いた” 感じを消したくて、画面を洗いながら制作した。一人で制作と発表を続けていても反応が乏しく、自分の作品や考え方が、いいのかどうかを試したかったので応募した。結果、会場のどの作品とも違って見えて、自信を持てた。

1997年

『徊』『未然』『出現』どんな風に見られてもいいと思ったら、画面は黒っぽくなっていった。

1998年

「神奈川アートアニュアル‘98〈明日への作家たち〉」に、『出現-精-』他3点を出品。広い会場に展示できることになり、まわりの空気を変化させるような作品にしたいと思った。大きな木を取り囲む大気をイメージして描いた。初めて意図的に紙の裏側から描いたり、裏箔を押した。展示光景を撮ろうとした時、1人の女性がこの作品を近づいたり離れたりしながらずっと観ているので、かなり待ったが、嬉しかった。他に、個展2回、グループ展2回と新作発表の機会が続いた。墨の点が目立ってきたり、具体的な「木」をモチーフにするようになっていった。この年最後の発表では、『景』という墨点のみのミニマルな風景画も描いた。この時期のやや強引な展開が、後の作品に繋がっていると思う。

2000年

個展「再生してゆく力」東京国際フォーラム・エキジビジョン・スペースに、桜や梅の木をモチーフにした作品3点を出品。 画面に違う要素として線を入れたくなり、直線の枝が目立つ梅の木をモチーフに『精2000.1』を描いた。枝ははっきりと描いたが幹の形は明確にしなかった。

2001年

「再生してゆく力」M.Y. Art Prospects(ニューヨーク)9月にテロが起こったものの、12月に予定通り個展を開催することになった。不安の中、初めて一人で(ガラガラの)飛行機に乗って、初渡米した。『景』での奥行きの出し方と柿の木の複雑な空間を合わせた『脈Ⅱ』など、過渡期のいろいろなタイプの作品をそのまま展示した。初日、人々は皆並んでまでも、作品の感想を私に伝えてから会場を後にした。制作者として至福の体験だった。

2002年

秋に個展(ガレリアキマイラ、東京)をすることになり、夏でも枝が観察できる松を初めてモチーフにした。木の幹や枝を白抜きにすることで、描いていない部分を巻き込めるように思った。多用している墨点は楕円で連続しているので、画面全体を離れて見た時、空気の振動になったり、リズムや方向性を生む。風や光を織り込むように描くこともできた。この時期、ほとんどの作品を裏側から描いていたが、墨の黒より、より鮮やかな黒で表から描くこともあった。両面から描くのは、画面を縫っているような感じがある。木をモチーフにしてから、描く毎に新たな問題点や発見があって、今に至っている。

2004年

初めて竹を描いた。笹の葉が光を蓄えてザザッとたわんだり、直線が錯綜しているような竹薮だったので、奥行きや光を、より意識するようになった。

2005年

モスクワでの初めての個展(ゲルツェフギャラリー)は、今までで1番大規模なものになった。レセプションの間中カタログにサインを求められた。人々が帰り始めた頃、やっと自分のデジカメを取りに控え室に行き再び会場に戻った時、残っていた十数人から穏やかな拍手が起こって、口々に私の名前を呼んでいる。何が起こったのかわからず、後ろを振り返ったりしてしまった。
“美術”に関わりながら、こういった励ましを受けることがあるとは思わなかった。

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